Virtuous cycle

Facebookの上場はうまくいったのか、いかなかったのか、私にはよく分かりませんが、アメリカはお祭り騒ぎを楽しみました。一方で、欧州は組閣失敗でギリシャのEU/ユーロ離脱決定的かと思いきや、そのコストやリスクもかなり甚大との認識が、ギリシャ国民の中にも広がったのか、少し緊縮財政派支持が持ち直したというニュースも聞こえ始めました。緊縮財政受入無しで、EU残留は無いということが明白になってくれば、あとはオランドさんのいう、成長策の付加をどの様にできるか、更に知恵を絞る方向になるのでしょうか。好循環に向かいつつあるのかどうかは、まだ良く分かりません。
ちなみに悪循環のことは、vicious cycleと言ったりするようですが、virtuous(高潔な、道徳にかなった)もvicious(悪意のある、不道徳な)も、道徳的観点を持つ単語みたいで、その言葉の使い方が興味深いです。市場第一主義と決別を 米ハーバード大教授 マイケル・J・サンデル氏 :日本経済新聞は、残念ながら有料記事の様ですが、その道徳と経済の関わりを表現してくれた短文として、読ませていただきました。

 市場の価値と市場ではないものの価値、すなわち家族やコミュニティー、民主主義といったものとの間で、より良いバランスを取る必要がある。市場が生み出す公的なサービスとそうではないものについて、開かれた議論をしなければならない。

 経済成長だけで全ての問題が解決できないにもかかわらず、市場が正義や共通善まで定義できるかのような考えがまかり通っているが、それは間違っている。この「市場勝利主義」から抜け出し、新たな政治的議論を通じて市場の道徳的限界を考えなければならない。

「市場ではないものの価値」という言葉に魅かれます。そういうものがあると思います。そして、大切にしていかなければいけないと思います。それを政治に任せるのか、というと疑問ですが、そういうことを議論する場所を政治というのだ、という理解なら受け入れられそうに思います。サンデル教授の「正義」の授業も、そんな議論の一つに思えます。
この二つの間にきれいな線を引くことは、間違いなく難しいでしょう。それでも、線を引く努力は必要だと思います。私の最近の志向は、経済はグローバルに、文化はローカルに。これが正解では無いかもしれませんが、このような両立が、この先何億年も人類を生きながらえさせる知恵の一つだと思っています。「億年」単位で見れば、まだ時間もたっぷりあるといえるかも知れません。
さて、そのような情勢のなか、数十年、数百年ぶりの関東地域での金環日食、無事見られるでしょうか?