the whereabouts of cloud

"雲のゆくえ”、そんな題名の好きな歌がありました。ただ、辞書を読んだ感じでは、”whereabouts”は、動きをあまり感じず、行った先、どこだかはっきり知らないのだけど今居る場所、という意味のようでした。”ゆくえ”には、もうちょっと、どこかに向かっている、流れ感、動き感があると思います。
ここで書きたいと思っているのは、実は雲ではなく、”金のゆくえ”、行き先です。いろいろなニュースやコラムで、行き場の無い大量のお金が、あちこちに行って商品の値段を吊り上げたりして、各市場に迷惑をかけている、という話が良くあると思っています。で、そもそもお金が余っているのが、問題なので、この収縮している世界経済の中では、そのお金が何かの損によって消滅する必要があると理解していました。
しかし、更に話を聞いたり、読んだりしていると、今お金が足りないところも、いっぱいあるわけです。例えば、ギリシャやスペインでは、いろいろな市場・分野でお金が足りず、国債を発行してお金を集めています。そこで、この”余っているお金”が、そこに直接行けば、国債に頼らずともギリシャやスペインの復活の一助になるかも知れません。しかし、実際はそうなっていません。そこには、リスクとか、公共性とか、いろいろ言い訳があるに違いありません。でも、一方で、国債という仕組みで、投資家側はかなりリスクフリーになっている気がしていますが、結局、国債だってリスクが上がるということが分かってきた訳です。その場合に、国債購入を止める、既購入分をたたき売るのが、現状です。でも、そういう投機的なお金の使い方ではなく、そのリスクを機会に変える努力ができる枠組みをお金の供給側に、もっと与える仕組みを考えられるのではないでしょうか。ここまで考えて、PFIはその手法の一つなのかも知れないと、ぼんやり思っています。そうして、お金がお金を稼ぐのではなく、お金を使って”仕事をして”、お金を稼ぐように、できると、お金の妥当な使われ方、といえないでしょうか。
その時に、最近の投機会社による買収の様に、投資効果だけの尺度で、仕事をされると、困るのですが。