Is the finance a private business or a public service?

本当に、快晴続き、暖かく、穏やかな年末年始で、ありがたく元気なうちに、新年を迎えました。近所を散歩していると、気候が穏やかなせいか、カラスものんびりした感じですし、既にうぐいすらしき小鳥も元気に木々の間を飛び跳ねていて、のどかな光景が見られます。夕方には、三日月と金星が並んで、輝いているのが、また綺麗でした。そんな美しい風景を眺める一方で、2008年からの株価低迷、経済の先行きは2009年になっても見えず、派遣切りのニュースには、明日の我が身を見るようでドキドキしてしまいます。しかし、それも自営の方々から見れば、至極通常のことかも知れず、なかなか適切な立ち位置を見出すのは難しいものだと感じます。
さて、先日、米国へ送金した時のこと、受取った側では、いつもの手数料に加えて、別の手数料が取られる様になっていたとのこと。詳細は良く理解できていないのですが、送金を受信する手数料に加えて、それを口座に入金する手数料が新たに有料化・手数料化された感じです。この話を聞いて、少し納得できないものが残っています。
銀行等、金融機関は、手数料収入で事業を成り立たせるのが基本だと思います。ただ、その手数料を変える権利を留保している場合が多いので、経営が苦しくなると、今回の様に、理由はともあれ、手数料を変更、値上げするわけです。でも、今回の経営が苦しい主因は、他方で行っていた運用の失敗であり、金融機関が責任を取るべきもので、我々にそのツケが手数料値上げとして回ってくるのはおかしいのではないか。また、金融・お金は経済活動の血と例えられることがありますが、それが本当なら、その血を循環させることを、手数料をとる事業として本当に良いのか、といった疑問が湧いてきています。今更、経済活動を失くす社会まで、立ち戻ることは無理だと思うので、お金は流通させなくてはならないのです。その流通が事業になれば、その事業が失敗する時は経済が止まる時で、そんな事態を発生させる訳にはいきませんから、そこでそもそも事業に失敗する訳が無い。元来は、複数の団体が、この流通事業を担うことにより、競争が生じ、成功するものと失敗するものが出て、手数料も妥当な水準に維持される筈という自由経済の機能を期待していたのでしょう。しかし、現実には、その複数の機関が、寡占状態で、巨大な規模の流通を担い、しかも同じ様なことで競争していたので、一緒に失敗しており、自由経済の安全弁というか、神の手的な制御というか、そういった仕組が機能していない状態になっていると思うのです。その様な状態で、金融機関が金融手数料事業をしているので、金融機関が何か失敗をすると、手数料が上がって、余計お金が動きにくくなる悪循環を助長するような状態になるだけでしょう。それが、今、起きているのではないかと、自分の送金を巡る事柄から、推測されるので、腑に落ちない訳です。
本当は、投資家責任な筈でありながら、その影響が大きすぎて、投資家の責任を全部明らかにしたくない、投資を預かっている金融機関を精算したくない、という時点で、競争のモラルが破壊されているので、そこに今から税金をつぎ込む位なら、最初から金融機関、特にお金の流通という事業は公共サービスとして実施してくれないかという気になりませんか?