Whereabouts of privacy and financial system

今日も、冷え込みましたが、そして、雲もかかっていますが、きれいな晴天で、陽だまりにじっとしていたり、窓際に居る分には、ポカポカしてくる、でも、風の冷たい、お天気になっています。少し、大掃除もしていますが、あまり年の瀬らしくしていない冬休みを楽しんでいます。
Visaプリペイド「Vプリカ」試したい!
Vプリカが1万円分あったら、ネットで何を買いますか?そうですね。年末のニュースで、CDの販売数低下が話題になっていましたから、CDを買いましょう。いくつか、気になっているけど、買っていないものがあります。
お日さまを浴びながらボーっとしていて、私が気になっているのは、プライバシーの行方と金融システムの行方なのだな、と、思いつきました。どちらもICT化により、危機というか、変化を迫られているものだと思います。こんなことより、もっと、仕事のためになるようなことを思いつけば良いのですが。
ICT化の進展は、プライバシーの見直し、新しいプライバシーとの距離感の持ち方を、引き起こしていると思います。このはてなの近藤さんが、良く「オープンにすると、みんなの知恵が集まる、助けてもらえる。」とおっしゃるのを始め、いろいろな面でオープン化の力というのは、宣伝されています。Facebookも実名の良さが、安心感だけでなく、いろいろとあります。一方で、”ハッカー集団Anonymous”みたいに、匿名がいろいろと問題視される場合も増えているように思います。ただ、一度オープンにすると、二度とクローズすることができませんから、躊躇してしまうところです。また、最近、何か事件があっても、大抵どこかの防犯カメラ等に、犯人が映っていることを見ても、特に屋外での監視されていない場所というのは、減っていっています。これもプライバシーの感覚が変わりつつある部分だと思います。もちろん、今は、防犯カメラの映像に誰もがアクセスできるわけではないですから、気にしない人が多いと思うのですが、逆に言うと、とある一部の人だけが、その情報を知っている訳です。悪用されないことにはなっていますが、個人や組織が、目的外に使うことがあり得ないとは言えないでしょう。そういうことを防ぐために、オープンにしよう。という話になる可能性は高いだろうなと思っています。特に、政府や警察システムが、昔の様に余裕が無いですから、外注化したり、民営化されたり、働いている人の質の低下なり、いろいろなリスクが想像されます。
金融システムの行方は、来年以降、今後の地球上の組織の在り方に、さらに強い影響を与えることになりそうです。ycasterとして、有名な伊藤洋一さんが、最近おっしゃっているのに、今の景気停滞に対して、政治が無力であることが、ほとんど明らかになりつつある、とか、個人や企業の破綻方法は、法律で決められているのに、国に対する方法が無い、という指摘があります。今までは、金融のやんちゃを政府がたしなめる感じだったと思うのですが、ICT化で、グローバル化・スピード化を進化させた金融が、国境を越えられない政治をシステムとして上回っている感じでしょうか。しかも、借金した国もなかなか潰れませんが、やんちゃで失敗した金融も、Too big to fail等と言われて、支えてもらえるので、なかなか潰れない。リスクフリーなやんちゃができる訳です。こんなに楽なチキンレースは無いかもしれません。ここで、金融ということばで良いのか、投資という言葉の方がもう少し適しているのか、正しい用語を使えているかが、少し疑問ですが、お金の動きが、一部の人の利益のために世界中を混乱させる危険性をはらんでいるという意味です。普通に考えれば、金融の効率・競争力のために金融に制限を欠けないなら、国というか、国境を無くす必要がありそうですし、国という単位を守るためには、金融に少し制限を加えて効率を落とさせる必要がありそうですが、どうなのでしょう。
エコノミストが政府を動かし始めた、ギリシャ・イタリアは、正に今後の私たちの社会の仕組み作りの最初の実験となるのかも知れません。
今年一年気になった事をまとめると、こういうことかなと思います。自分でどうすることができるわけでもないので、本当に、考えるだけ無駄なことなのですけどね。