Android

11月も最後の週末ですが、3連休で、しかも、関東方面は良い天気で、穏やかな休日をのんびりと過ごしています。のんびりする位なら、書きなさい。ということで、”日記を書く”をクリックしたところです。
今月の話題を一つ挙げるとすると、Androidでしょう。私には、その意図が全く理解できません。ニュースを全部見た訳でも、直接中身に当たった訳でも無いので、当然なのかも知れませんが、Googleの情報を整理する野望とケイタイのOSを提供することが、結びつきません。そういう意味では、そもそもGphoneという話時点で理解ができていなかった訳です。CNET Japanの森さんのブログAndroidは何の夢を見るか - (page 2) - CNET Japanは、そこをこんな風に解き明かしています。

 しかし、なぜGoogleが単に携帯電話のアプリとして検索サービスを提供するだけにとどまらず、移動体通信端末すべての機能を司るソフトウェアアーキテクチャの提供までを行う必要があったのか。

 Googleが目論む「すべてのものを検索する」ためには、そのすべてをデータとして取り込まなければならない。そのためには、移動体通信端末は必須のツールとなる。人々が移動体通信端末を介して交わすメッセージだけではなく、データ端末やセンサからの入力までもその対象となるはずだから。

 そのとき、僕たちの目に見えないAndroidによって取り込まれたデータは、いったい誰のものとなるのだろうか。プライバシーやパブリックという概念が、現実社会においてすら脆弱な存在であることは、僕らは肌に沁みて分かっている。が、この現実の価値観を共有する世界とは異質な、データのみから構成される存在にとっては、いよいよ意味のない排除されるべき概念にもなりかねない。

 Googleというプレーヤーの一挙手一投足にあまりにとらわれるよりも、重要なことがあるだろう。僕たちはリアルとバーチャルの境界線を曖昧にするAndroidの登場に際して、気が付いたら巨大になっていたGoogleの存在に恐怖した感情の根源にあるものは何かを、改めて考えてみるべきではないだろうか。

でも、Androidをデータ取込みの手段と見るのは、少し飛んでいる気がします。Googleは、ユーザの行動を、検索対象になるデータ、整理されるべき情報、だと考えていないと思うからです。ユーザの行動を知りたいのは、サービスプロバイダや広告主の方でしょう。Googleがケイタイから何を整理したいのか?それは、PCでもしたいのだけれど、できないから諦めているのか?ケイタイだからこそやりたいことなのか?それにしても、そのために、JVMを開発してしまい、34社を集めて「Open Handset Alliance」を興した訳ですから、Googleの気合と周りの期待は確かです。引続き、見ていきたいと思います。