Photosynthesis

雨の週末です。雨のせいだか、わかりませんが、かなり趣の異なる話題が、頭の中を駆け巡っています。発端の一つは、人類の光合成は夢なのか……という記事です。 読んだ時にも、面白い記事だと思っていたのですが、この記事を思い出そうと探していて*1、同じ様な発想はしている人は何人も居ることもわかりました。*2

この話から、折に触れ、いくつか発想の展開があって、生物の進化において、生物の消費熱量は重要なポイントの一つなのだろうということに、今更ながらに思い至りました。食物連鎖の中で弱肉強食を生き抜くためには、物理的なサイズが大きな生物の方が一般的に有利と思われます。人間もこの大きさですから、世の多くの生物を恐れることなく生活ができます。ですから、進化の過程で大きくなろうとしている生物、あるいは大きくなれたがために生き延びてきた生物がいるでしょう。では、どこまでも大きくなれば良いかというと、大きい生物は、その大きさに見合ったエネルギーの補給が日常必要になります。そのため、多くの個数での共存が難しくなったり、少数でも種の維持が困難になったりするでしょう。この結果、個体の大きさとエネルギー消費量の間で、トレードオフが生じそうです。そして、同程度の大きさの中では、大きさの割に少ないエネルギーで生きられる、エネルギー効率の良い生物がいると、良さそうですから、生物の進化は、そういうエネルギー消費量あるいは、エネルギー効率の面で進化してきたという軸で分析することもできるのだろうと思います。
今日は雨が降っていて、外出も大変ですから、そんな話を検索で探してみる、PCと戯れる一日にするのも良いかもしれません。
時々、なぜ体があるのかな?と考えることがありますが、上のエネルギーの話からいけば、私が私であり、私の意識が活動するためには、この脳が必要で、脳を意識ある状態で維持するにはそれなりのエネルギーの補給が必要で、そのためには、エネルギーを用意し、脳へ供給するシステム=体が必要という理解になるでしょう。きっと、人間の体は、この大きさの脳に必要なエネルギーを自然界のいろいろなものから摂取し、脳へ必要な形に加工して、供給するのに適した機能や能力を備えているのでしょう。でも、それは完成形だとは限りませんし、まだまだ地球の寿命は何十億年もあるはずですから、生物は、今後も更にその改善を進めていくのでしょう。
もう一つ遡って、脳(という”意識”の入れ物)を使っているから、エネルギーが必要なのでしょうか?それとも、そもそも意識という活動自身が、エネルギーが必要なものなのでしょうか?もちろん、こんな議論は、”意識”という何かがあるとして、しかも、それが脳から分離できる、脳とは独立な存在という仮定に立たないと、できないものですが、SF小説的な面白い要素が多くありそうです。

*1:実は、数日前に読んだこの記事を読み返そうと思いたって探し始めたのですが、先程、このリンクを見つけるのに、20分ほど費やしてしまいました。日経の記事だと思い込んでいたせいもあるのですが、まだまだ、検索が下手だなと感じました。

*2:いくつかはブックマークしました。