Tanabata

東京地方は7/6に梅雨明けしたと見られるそうです。そして今日は七夕ですが、ここでは、午後から雲が出てきています。夜になって、星が見られるかは、微妙な感じになってきました。でも、寝る前に、夜空を見上げてみようと思います。
さて、最近読み始めた本は、インターネットが人類をどう変えていくのか、についての議論を含んでいます。もっと単純に言うと、インターネットは人類のためになるのか。個人的には、インターネットは道具なのだから、役立てるも、たてないも、人類次第だと思います。ただ、今の使い道で、役に立つのか、については、本の中の議論同様、私にも、いくつもの思いがあります。
例えば、よく考えるのが、このブログや、ホームページというもの。今では、ブログやホームページは山ほどあり、多くの人がいろいろな情報(ここでは、事実・思索・創作などの全てを含む、ボンヤリした意味での情報です。)を発信しています。このおかげで、ブログやホームページ以前の時代に比べて、いろいろなことを調べやすく、知りやすくなりました。ただ、その質はどうなのだろう、と、いつも思います。一時期、これからは全ての人が新聞記者に成り得て、職業としての新聞記者がなくなるかも知れない、といった議論をした記憶があります。確かに、新聞という媒体あるいは事業や、新聞記者という職業に、ブログやホームページは変化を与えていますが、ニュースを伝える専門家からのニュース、というものの価値は逆に上がっていると思います。ただ、価値が上がっていると持ち上げておきながら、残念ながら、そこに我々がお金を払っていませんから、彼らのビジネスは厳しい状況にあるでしょう。そこには人類の役に立つ/立たないとは別の議論があります。
小説創作も、創作好きな個人が、自分の創作を簡単に人に見てもらえるようになっています。同人誌を作成するよりも簡単ですから、当然、公開されている創作物の質もバラエティが拡がったと思います。裾野が広がったとも言えるでしょう。しかし、読んで満足する小説の数が増えたかは、疑問です。紙の世界から電子の世界に変わったことで、書く気になった、インターネットが無ければ、世に出なかった優れた作家もいるでしょう。でも、それは人とメディアの相性の議論で、その分、紙の時代なら作家になった人を失っているかもしれません。
インターネットが人類のためになるか、という議論の中では、インターネットに期待したいのは、裾野を広げることだけでなく、ピークをより高くしていくこと、人類を発展・進化させていくことでは無いでしょうか。そういう角度から見ると、今のインターネットに、その様な仕組みが内蔵されているとは、言い難い、というのが、私の見方です。
ウェブ進化論の梅田さんと将棋の羽生さんの対談か何かで、インターネットが将棋界に与えた影響を話されていました。インターネット上に多くの棋譜があるため、それらを勉強すること、あるいは、自分で何かを考え付いた時に、過去の例を確認すること、は、非常に簡単になったそうです。これを彼らは「高速道路」と呼んでいたと思います。しかし、この高速道路は最後までつながっている訳では無いのです。インターネットによる高速道路は、覚えればなれるクラスの棋士を増やす効果は、あるようです。ただ、日本一、世界一になるためには、そこから、さらに他の棋士の前に出ていかないといけない訳です。そこでの活動・作業は、インターネットの情報が、引続き助けになるのでしょうが、基本的には自分の中で産み出す、発想・創作なのです。そして、現在のインターネットの中に、そこに直接作用する仕組みはまだ無い。と、私は考えています。先日、ブックマークした記事、試験に合格する秘訣は「オフライン」だった|WIRED.jpも、そんな考えを、裏付けるように見えます。
今日見かけた、ある記事の一部も、似た問題意識を議論しているなと思いました。

神戸大学大学院教授の塚本昌彦は01年からヘッドマウントディスプレーなどウエアラブル機器を常に身につけて生活している。どういう用途にどんな技術が必要か、実体験から研究するためだ。ずっと抱いてきたのは「ITは進化の方向が間違っている」との思いだ。

 一日中、家にこもりネット利用、友達と会っている時もスマホに夢中……。「人びとの精神活動がネットの仮想空間に吸い込まれている。コンピューターは実空間での活動を豊かにするために使うべきだ」。ウエアラブル化は人の思考や生活様式を変え、あるべき姿に導くと塚本は期待する。

(日経産業新聞)

そう、我々は、インターネットの中で生活するのではなく、実空間で生きているのです。我々が進化するための、インターネットの進化でなければ、意味がありません。
でも、最近の世の中の混乱を見ていると、人類はインターネットを使いこなしているのか、疑問をもちます。というか、寂しくなります。