Money can't buy ...

今日は、穏やかな日曜日でした。陽射しも明るく、そらも澄み渡り。でも、都心の方を見たとき、結構淀んだ感じだったかな?近くで良く見かける猫は、ブロック塀の上で完全脱力状態でした。声をかけると、首が数mm動いたでしょうか。目を開けさえしませんでした。気持ち良く寛いでいたのでしょう。
また、今日も、部分的に書きますが、経済の話です。ギリシャで手間取っていたら、いつの間にかイタリアが標的になっています。まさに、標的という言葉が相応しい。誰の標的?というと、「市場の」ということになるのでしょう。今日書いておきたいのは、この市場に、人間の英知が活きていないということです。今までの何年が、人間として本当に思索が深まった時間か分かりませんが、少なくとも何千年かかけて、人間は、いろいろなことを勉強してきました。その結果、いくつかの倫理体系や文化体系として、人間の生き方・生きる道みたいなものを確立してきたと思います。そこでは、やってはいけないこと。というのがありました。
でも、今の市場には、そういうものが反映されていないと思います。なぜなら、計算機と通信が深く入り込んでいるからです。残念ながら、人間同士ならやらない取引を、機械同士では、行っている気がします。そこまで人間の知恵を機械に教え込む技術が不足していたり、人間の知恵は効率的なものばかりではありませんから、その非効率さを機械が扱うことができない、あるいは、そんなルールを世界規模で作り上げることができないから、シンプルかつ効率的なルールで動いているからだろう。というのが、私の最近の見方です。
一人ひとりの話を伺っていると、政府首脳も、証券マンも、商人も、農民も、主婦も、みんな世の中の問題に気がついていて、このままではひどい目に会うと思っているのに、それを止める方法が無い。それは、止めようとすると損をするからでしょう。あるいは、止めて欲しくない(ごく一部の人でありながら、もっとも大きく影響を受ける、かの様に言われていて、実は一番被害の小さいに違いない)人々の影響力が大きいからでしょう。
一度、痛い目に会わないといけないのかも知れません。どうして、国から個人まで、これだけみんなが借金をしているのでしょう?貯金していると思っている人も、実はそれは幻かもしれません。今の状況だと、本当に貯金を持っている人は、すごく一部の人だけかもしれないと思えることがあります。銀行等に預けたお金が、実際にどこに働きに出ていて、今の成果状況がどうなのか、実は、庶民からは見えていないと思います。成長路線・成長時代からの転換の方法を早く見つけ、実行する必要があります。手遅れでないことを信じて。