Lost 10 years

パソコン業界は十分エキサイティングだと思うのですが、閉塞感の中で考える次の10年というお話もあります。

ビジネスという切り口では、すでに活動の基盤として根付いているPCだが、これが家庭の中で生活の基盤になっているかというと、まだまだ努力が不足しているということだろう。では何が足りないのか。

 かつて不足しているのは処理速度だと信じられてきた。だが、数10倍の能力を使って何をしているかと言えば、10年前とさほど変わらない用途にPCを使っている。本当に今のままプロセッサの能力を引き上げていくことがPCを発展させることになるのだろうか?

 PCという商品にこの先がない、PCを持ち歩くことに意味がないとは思わない。だが、今のPC業界は少しだけ進化のベクトルを間違っていたのかも知れない。

今も昔も、PCを使ってやっていることがさほど変わらないところに驚くことは、私も同感です。でも、まだまだ"本当に"やりたいところにはたどりついていないとも、思います。例えば、こうやって文章を作っているときでも、かな漢字変換はもっと賢くなると思いますし、ファイルの暗号化や画像ファイルの圧縮などは永遠に負荷のかかるアイテムだと思います。

食事に同席していた後藤弘茂氏は「Intelもおそらく、メニーコアでは複雑なx86コアを無数に並べるのではなく、用途に特化したシンプルコアを何種類か組み合わせて搭載するのではないか」と話した。僕も全く同じように予想している。古いx86命令セットアーキテクチャを高速に実行するための付加機能を、すべてのコアに搭載するのはあまりに効率が悪い。

 またx86命令セットをひたすらに高速実行するだけでは、なかなか処理のドメインを分析や解析といった領域に進めることができない。もちろん、いずれ高速化が進めば(かつてのDSP処理をx86命令で実装しているように)汎用コアでも処理可能になるだろうが、いち早くPCの応用範囲を広げるには、やはりアプリケーションターゲットを絞ったマルチコア化が必要だ。

 消費電力といった視点も、最近の半導体製品では決して外すことができないポイントだが、ターゲットとする進化の方向が従来の情報処理ドメインとは異なるのであれば、x86コアを10個にするよりも数個のx86コアに異なるアーキテクチャのプロセッサを並べて行く方が効率は良い。

x86が捨てられる日が来るとは思っていませんでした。この様に書いていただけると、マルチコアの意義がクリアになった気がします。システムonチップとは異なるのでしょうが、そんなイメージが湧きました。