Blog in 2005

月初めは桜がなかなか咲かない位涼しかったのに、昨日と今日は本当に暑い日になりました。春をしみじみと感じています。
が、最近、あたふたしていたので、巷(の一部?)でブログ論が繰り広げられているのに気がついていませんでした。ブログブームの終わり: R30::マーケティング社会時評を読んで、梅田さんが何か一杯書かれているらしいこと、またトラックバックのリストを眺めていて、ブログの現状/行く末を考えている人が多いことなどを知りました。
読み始めると面白くて、あれこれ読んで時間を過してしまいました。基本的には梅田さんの一連のコラムにいろいろな方のお話も紹介されているので、それで多くの議論を概観した気分になりました。"気分"だけなので、勘違いもあるかも知れませんが、読後感想文を少し書いておきます。

日本における教養ある中間層の厚みとその質の高さは、日本がアメリカと違って圧倒的に凄いところである。アメリカは二極化された上側が肉声で語りだすことでBlog言論空間が引っ張られるのに対して、日本は教養ある中間層の、個々には実に控えめな参入が、総体としてBlog言論空間を豊かに潤していくのだと思う。

ということなのだと思うのですが、読んでいて飽きませんし、刺激を受けます。勿論、実際にはいろいろなレベルの文章がある筈なのですが、梅田さんフィルタを通して読んでいますから、よりそういう結論に達し易い事情がある訳ですが、よく考えている人が多い。ブログ/トラックバックというシステムの性格もあるでしょう。掲示板タイプだと、やりとりがもう少しリアルタイムで、考えが生煮えで出ていってしまっている場合が多くなっている、と思います。

  • 企業人の情報発信という話がありましたが、ピンと来ない部分もありました。私自身がすでに麻痺しているのかも知れません。

外に向けて情報発信しないことが「共同体への忠誠心」をはかる尺度になっているようなところがあるからだと思う。そして何かの理由であるとき共同体から村八分になると、過去に遡ってルールが恣意的に解釈されなおして、「えっ、それ皆やっていたことでしょ。昨日までそのルールはOKだったんじゃないの?」というようなことで罰せられてしまう、というような陰湿な恐ろしさが、日本組織には内在しているからだ。だから組織の側はルールを明文化しないのに、個人のほうでルールをどんどん拡大解釈して自己規定し、外に向けては何もしない(場合によっては組織内でも公けには正論を吐かない)ほうが無難だという判断をする。
Blog論2005年バージョン(4) - My Life Between Silicon Valley and Japan

"陰湿な恐ろしさ"というほど恐ろしくは無いと思うのですが、"無難"という結論が心地良いのも確かです。ただ、最近は、企業内において、情報発信をしないメリットより、情報発信をしたメリットの方が大きいとの認識は広がっているのではないでしょうか。ただ、発信する情報を人の役に立つような形にする手間がかけられないので、情報の価値が今一つ高まっていなくて、受け手としては使いこなし難いのに、逆に情報を発信したという事実で出し手としては責任を放棄/軽減しようとする傾向を感じて、危惧する部分があります。私には企業内の現状に対してそういう認識があるので、ブログ上の議論にピンと来なかった部分があったのだと思います。ただ、自分の勤務先だけ見て言ってますから、非常に狭い視野からの話ですが。それにしても、社内情報に梅田フィルタが欲しいです。

  • 私にも実感できるのは、"Blogを書くことで成長するということ"。ただし、私の場合、PVは限りなく0に近いので、無理にBlogである必要はありません。ノートに日記を書くのでも同じ効果があるはずです。1000PV/日などというブログを書いていると、緊張感が違うでしょう。が、PVなどなくても、頭の中の少しのことでも、文章にするだけで、確実に広がりが出てきます。あと、日記に3GだのWiMAXだの書く気は起きないでしょうが、ブログだからちょっと書いてみる気になる。ということもあります。ですから、3ヶ月坊主の気配があるこの頃ですが、何とかしつこく書き続けたいと考えています。ブログが今ブームなのならば、ブームは終わるかもしれません。が、ブログが終わるわけではなく、逆にさらに進展/発展していくのは、やっている人なら誰でも感じていることではないでしょうか。もちろん、何万PVを経験された人には、PVが下がっていくことはとても寂しいことでしょうが、ブログ界にとっては大したことではありません。きっと。

side note

ところで、Blog論2005年バージョン(2) - My Life Between Silicon Valley and Japanにあったほんの些細な部分、

僕の書くものが「IT産業好きの文系的な人たちや経営者たち」に愛好される理由でもあり、「本物の技術的才能を持った人たち」からやや胡散臭いと思われる理由と、深く深く関係している。

が、失礼ながら、私には大変うけてしまいました。さすが、本人も気がついていらっしゃるんだ、と思ったのです。ただ、同時に、梅田さんは、それを自覚した上で、怯むことなく、その梅田風をコンサルティングの味付けに堂々と使って、強みにすらされていると思います。それは誰にでもできることではないでしょう。常に戦略を考えて抜いているから、自信を持って行動できるのでしょう。
そういえば、最近、"戦略"という言葉をよく投げかけられます。一緒に仕事をしていて、欧米人は本当に"戦略"に敏感だと思います。"戦略"の善し悪し以前に、"戦略"が無いことに非常に不快感を示してきます。対する私は、ブログの書きぶりを見ても分かるでしょうが、そんな"戦略"的な思考も行動も苦手です。流されて、ここまで来た、という感覚が強く、それで幸せだったので、ボケているわけです。この先も流され続けるだけで、生きていけるのかどうか。ブログの将来以前に考えるべきことですね。