Self-catering

自分で食事を作って食べていると、父の作ってくれた食事が嫌いだった子供の頃を思い出しました。不味かったから、嫌いだった、というのが、簡単な説明ですが、よく考えて見ると、実は、それは違っていたのだろうと思います。父が作ると、クリームシチューは、牛乳を使わず、しかもシチューの素の粒粒が残っていて、いつもと味が違ったり、お味噌汁では、だしのいりこが入ったままだったり。「味は一緒だ。」と、見た目に気配りがないのが、食欲をそいでいました。実は、今、自分の作る食事が、それとそっくりで、見た目を考えないので、当時を思い出してしまうのですし、同時に苦笑いが出てしまいます。でも、自分で食べてみて、多分、今、自分が作っているものより、父の作ってくれた食事は、おいしかったかも知れないと思います。幸いなことに、私たちには子供が居ませんから、私が作った食事で、同じ思いをする人は居ません。
今なら、いりこ入りのお味噌汁に何ら不快感は、ありません。そういうお味噌汁、いつもと違うお味噌汁として、素直に受け入れられます。おいしくいただくことでしょう。では、それができるようになったのは何時ごろからか?と、考えた時に、実は父の味噌汁を食べていたころから、その素地はあったような気がします。ただ、その時、違う味を認めるのが嫌だっただけなのでは無いでしょうか。あるいは、認めて良いかどうかが分からなかったのでは無いでしょうか。そこで思うのが、母が一緒に食べていなかったからではないか、ということです。父の作った食事を、母も一緒に、家族みんなで食べていれば、子供であった私にも、それを安心して、素直に受け入れて、おいしく頂くことができたのかなと、思います。でも、残念ながら、母が居るときに、父が食事を作ることはありませんでした。そういう時代だったのでしょうし、そういう父母でした。
自分の作った食事を食べながら、子供心は複雑だと、改めて思い直したのでした。きっと、今の子も。