モバイル

早くもブログ継続の危機に立っています。もうちょっと時間を上手に使えば良いのですが、なかなか難しい。実は、備忘録の中にはまだ読んでいない面白そうな記事というのも含まれているのですが、それをせっかくここに記録しておいても、記録したことを忘れたり、あとで見つけられなかったりで、あまり自分の役にたっていない状況も見られています。こんなことなら、きちんと日記を書いておいた方が、一年後に製本する気になりやすいかもしれません。

この下の備忘録のところに、「リキッド・インフォメーション」の記事を引いてあります。このプロジェクト自身にはまだピンと来ていないのですが、この記事の中にも引用されています、

Most electronic communication has focused on the production of information, not the digestion of information.

というところに目が留まりました。
どちらかというと、依然、情報を作る方がハードルが高いと思うのは、私だけでしょうか。ちなみに、このプロジェクトのようにページ全体をハイパーリンクだらけにするのも、これをページ作成時にすれば、それは情報を"作る"方の作業の高度化で、逆にブラウザでページを読み出した時にブラウザ側ですれば、それは情報を"消費する"方の高度化かなと思います。Indexの自動生成、Indexに基づき検索し、関連の高いコンテンツの選択など、ウキウキするような技術のオンパレードでしょう。このはてなダイアリでも私が埋める以外のリンクをはてながいっぱいつけてくれますから、リキッド・インフォメーションと似たようなところがあります。はてなでは、そのリンクを伝っていくと関連情報が入るという感じではありませんが、他の方のブログを訪ねるきっかけになるので、楽しいです。あと、最近、情報を"消費する"方は携帯電話で、情報を"生産する"のがノートPCというのが、モバイルの使い分けか?と考えているのですが、どうでしょう。

携帯電話とノートPCのモバイルに関連して、ペンコンピューティングの過去・現在・未来――Windows XP Tablet PC Edition開発者が語る(後編:Q&Aおよび未来) (2/2) - ITmedia PC USER で、

私自身、BluetoothつきのタブレットPCと携帯電話でフルビジネスソリューションにしています。携帯電話は、いつもBlutooth機能を ONにして、ポケットに入れています。ちなみに今日は、午前中、調布の研究センターにいまして、新宿のオフィスに戻る電車の中でタブレットPCからバッグに入れた携帯電話経由でマイクロソフト米国本社のサーバにアクセスしていました。パケット網経由ですから、電車の中で、タブレットPCからインターネットにアクセスしているときに電話がかかってきても、耳についているBluetoothのヘッドセットが鳴って、電話にでることができます。タブレットPCからネットへの接続は切れません。

 新宿のオフィスにもどると、タブレットPCをドッキングステーションにセットし、LCDディスプレイ、キーボード、マウスで通常のデスクトップ PCと同じ使い方をするわけです。社内のミーティングに行く時は、タブレットPCをドックからはずして持って行き、802.11の無線LANで社内ネットにアクセスしています。

 かつてXeroxでは、Dynabookというようなコンセプトがあって、漠然とこういう使い方を考えていました。そのコンセプトをもとに、 Xeroxは最初のパーソナルコンピュータ、Altoを作ったわけです。その時は、Bluetoothは無かったし、公衆のパケット網もなかった。コンピューティング・パワーもずっと小さかった。メモリもずっと少なくて、768Kバイトあるワークステーションが欲しかったのを覚えています。キロバイトですよ。私のこのタブレットPCのメモリは512Mバイトですからね。ネットワークのスピードはインフラの問題ですが、それはそれで巨大なシステムが支えている。そういうことが全部そろって、使えるようになってきた。日本はそういう環境になっています。これは、すばらしいことですよ。

と書かれてました。
これを、私は生産性が上がっていると言いたいのですが、本当でしょうか。最近、友人の奥さんが、電車の中でノートPCをたたいている人を見ると「可哀そう、こんなところでまで仕事をして。」と思うのだ、という話を聞いて、苦笑せざるを得ませんでした。

今日の数本

ちょっとは、選べよ。というか、暇なのがばれてしまうというか。

ぼくは、この日払った1,300円で、けっこう多くのものを学んだように思う。映画館は空間を売る商売だとは思うが、その空間は、設備だけではなく、そこに居合わせた観客がいっしょに作るものなのかもしれない。その一蓮托生の共同体意識は、800座席の大劇場で得られるものとは異質だった。毎回というのは正直なところちょっと躊躇するが、たまにはこういうのも悪くはないと感じたのだ。

大衆化とPersonal化の間の"私達化"の一つかと思います。全く初対面同士ですが、ある映画に興味を持っているという全く知らぬ仲では無いわけです。

ヘグラン氏のアイディアはシンプルだ──ウェブで活用されている基本的なハイパーテキストのリンクの考えをさらに発展させ、すべての単語(ワード)を「ハイパーワード」に変えるというものだ。文書内にリンクがいくつか存在するのではなく、すべての単語がリンクになるのだ。さらに、リンク先は複数の場所に向けることが可能で、その単語の背景にある、あらゆる種類のコンテキストを、ウェブ全体から引っ張ってくることができる。

 例えば、ある政治家の名前をクリックすると、その政治家の選挙活動のために誰が献金したかを調べることができる。あるいは、ニュース記事に出てきた都市の名前をクリックすると、その都市で起こった他の出来事がわかるようになる。

 「テクノロジーやデジタルといったものの変遷における大部分は、情報の生産にかかわるものだったと思う」とヘグラン氏は語る。「今後は情報の消費に焦点を当て、人々が情報の中を進み、適切な情報を入手するのを後押しすべきだ」