A thinking reed

「考える葦」という言い方は、パスカルの言葉*1ですが、最近、つくづく的を得ていると思っています。葦もいろいろと反応すると思うのですが、その反応の中で”私”という概念を発明することにより、”反応する”が”考える”に進化したのだと思います。つまり、”私”という概念が無ければ、”考える”ということも起きないでしょう。そして、更に”言葉”を発明して、”私”という概念を人にも伝える様になるには、どれだけの時間と偶然が必要だったのかは、全く分かりませんが。今、人は、生まれてから後、いつ”私”ということを習うのでしょうか。何歳で自分のことを”ぼく”と言い始めたかなんて覚えていませんが、親が、私という概念を既に使っていますから、比較的すんなり子供にも伝わるのでしょう。でも、最初「我思う、ゆえに我あり*2」に気がついた人は、人類史の中の大発見者の一人だと思います。

*1:"Human being is a thinking reed." or "Man is but a reed, the most feeble thing in nature, but he is a thinking reed" – Blaise Pascal:原文はフランス語だそうです。

*2:I think therefore I am:デカルトの言葉で、こちらも原文はフランス語だそうです。